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最近、YouTubeで大好きな「M!LK」のMVを夢中で見ていた時のことです。
その後にたまたまお薦めで流れてきた「嵐」のMVを見て、私はある衝撃を受けました。
曲のリズムが、あまりにも違いすぎる……!
嵐の曲は、どこまでもゆったりとしていて、誰もが一緒に口ずさめる安心感がある。
対して、今の時代の音楽は(M!LKも最高にカッコいいのですが!)、とにかく展開が早くて情報量が多い。
「あぁ、世界そのものが、こんなにせかせかと急ぎ足になっているんだ」
耳から飛び込んできたそのギャップに、今のネット社会の縮図を見たような気がしました。
情報が多すぎて、時間が過ぎるのも早すぎる。
2026年、AIが作った「完璧な偽物」やアルゴリズムの波が溢れるこの世界で、
私がスマホからそっと降りて、自分の「温度」を取り戻すまでのお話を少しだけ、書いてみようと思います。
1. 「通知」に支配されていた、あの頃の私
数年前までの私は、スマホの画面越しに「正解」を探す毎日でした。
友人の楽しそうな集まりをスクロールする指が止まったのは、自分が誘われていない食事会の写真を見つけた時です。
「私、誘われてもいいメンバーなはずなのに」
「何か気に障ることを言ったかな?」
そんな答えのない自問自答を繰り返し、勝手に傷ついて、勝手に疲弊していました。
誰かの幸せを確認することが、自分の不幸せに直結していたのです。
狭い世界での出来事なのに、まるで自分という人間すべてを否定されたかのような気持ちになり、本当に苦しかったです。
「なんで、なんで……」という思考が頭を埋め尽くし、可愛いから誘われたのかな、私と一緒にいても楽しくないのかな、とネガティブな迷路に迷い込んでいました。
2. 写真に撮れない「今」と、再開した日記
思い切ってSNSから距離を置いてみました。
実際に離れてみて気づいたのは、驚くほどの「静けさ」でした。
誰がどこで何を食べていようと、目の前にあるお茶の味は変わりません。
他人と比較して焦る必要がなくなった途端、自分の輪郭がはっきりしてくるのを感じました。
そんな生活を送る中で、最近、妊娠中に使っていた「育児日記」を引っ張り出してきました。 きっかけは、子供の成長への寂しさです。
1日があっという間で、気がつけば「あ、あの仕草、もうしなくなったな」と、指の間から砂がこぼれ落ちるように成長が過ぎ去っていく。
もちろん写真や動画も撮りますが、一生懸命に頑張っている姿を見つめていると、感動しているうちにシャッターチャンスを逃してしまうこともよくあります(笑)。
でも、それでいい。
「写真に残せなかった」と悔やむより、「その時、私がどう感じたか」を日記に綴る方が、今の私にはしっくりきます。
毎日は無理でも、週に1回。自分の手で書く言葉には、デジタルにはない「重み」が宿る気がしています。
3. 2026年、AIとアルゴリズムの海で思うこと
最近のネットの海は、ますます複雑になっています。
流れてくる画像はAIが作った「完璧すぎる偽物」かもしれないし、目にしている情報はアルゴリズムによって偏らされたものかもしれません。
「自分の意見だと思っていたものが、実は誰かに見せられているだけではないか?」
そんな不安を感じることがあります。
便利な世の中は、時として「自分で考えること」を奪っていくような気がして怖いのです。
有名な人が言っているから間違いない、と適当に判断していた自分に、夫との会話で気づかされることもよくあります。
「なぜその人はそう言っているのか?原因は何なのか?」と問い詰められると、答えに詰まってしまう。
つまみ食いした情報だけで本当だと思い込んでいた自分に、ハッとさせられます。
たまには本を読んで、じっくり自分の思考を整理しようと思っています。
4. 自分の「温度」で生きていく
スマホを車に置き忘れるくらいの「ゆるさ」を持って、これからも自分の温度で言葉を紡いでいきたい。
もちろん、最初からこんなに「ゆるく」なれたわけではありません。
以前、画面を見てしまう自分を卒業したくて「スマホロックボックス(タイムロッキングコンテナ)」なる禁欲ボックスを調べていたこともあります。
物理的に閉じ込めないと離れられない自分を想像して、思わず笑ってしまいましたが……(笑)。
今は箱に頼らなくても、自分の意思でスマホを伏せられる。
もう少し子供が大きくなったら、今度は私自身が「なんでなんで攻撃」を受けるはずです。
それまでに、流行りのバズに飛びつくよりも、子供の寝顔を眺めて深呼吸する時間を大切にしながら、自分の考えをしっかり持てるよう備えておこうと思います。







