- 書いていると、時間が消える夜
- 「これって意味があるの?」と不安になる瞬間
- 昔から、文章は生活のそばにあった
- 没頭は、そのままでは武器にならない
- 没頭を「人に渡せる形」にする
- 好きなことと生活は、共存できる
最近、「好きなことと生活をどう両立させるか」をよく考えています。
夢を追いかけるほど余裕はないけれど、全部あきらめたいわけでもない。
そんな中で、ひとつだけ続いている習慣があります。
それが、夜に文章を書く時間です。
書いていると、時間が消える夜
21時ごろからパソコンを開いて作業を始めると、気づけば23時。
平日の夜は子どものこともあって、本当は早く寝たほうがいいと分かっているのに、
書いているうちに楽しくなってきて、なかなかやめられないことがあります。
文章を書いていると、時間の感覚が薄れていきます。
今が何時かを確認するよりも、
「ここはこう書いたほうが伝わるかな」と考えることの方が楽しくて、
気づいたら予定していた時間を過ぎている。
効率がいいとは言えません。
でも、頭の中が少しずつ整理されていくような感覚があります。
「これって意味があるの?」と不安になる瞬間
一方で、ふと不安になることもあります。
「これって、何かの役に立っているんだろうか」
書くのが好きでも、すぐに仕事につながるわけではありません。
時間を使っているのに成果が見えないと、
「ただの自己満足なんじゃないか」と思ってしまうこともあります。
昔から、文章は生活のそばにあった
なんとなく始めたことですが、
振り返ってみると、実は昔から文章を書くことが好きだったことに気づきました。
学生の頃、文章を書く授業を選んでいたこと。
会社員時代、メール一通にも
「どう書けば伝わるか」を考えていたこと。
特別な趣味なんてないと思っていたのに、
思い返せば、言葉と向き合う時間はいつも生活の中にありました。
好きなことは、ある日突然見つかるものだと思っていました。
でも実際は、ずっと身近にあったものに、
後から名前をつけているだけなのかもしれません。
没頭は、そのままでは武器にならない
ただ、没頭できることがそのまま武器になるかと言われると、
そう簡単でもないと感じています。
夢中になれるだけでは、生活は回りません。
好きだから続けられるけれど、
好きなだけでは誰かの役に立つとは限らない。
ここに、現実的な壁があります。
没頭を「人に渡せる形」にする
私が少しずつ意識するようになったのは、
「没頭そのもの」ではなく、
「没頭を人に渡せる形」にすることでした。
自分の感情をそのまま書くのではなく、
読んだ人が自分のこととして受け取れるかどうかを考える。
「私はこう感じた」で終わらせず、
「同じ状況にいる人はどう感じるだろう」と、
一歩引いて言葉を選ぶようになりました。
働いていると、本当にいろいろなことが起こります。
うまくいかない日もあれば、
気持ちが沈む出来事もあります。
私自身、そうした経験をしてきたからこそ、
同じ思いをしている人が、
少しでもホッとできる文章を届けたいと思うようになりました。
そのために、つらかった出来事を書くときも、
感情を吐き出して終わらせないようにしています。
「しんどかった」で終わるのではなく、
そのとき、どんな言葉があれば少し楽になったか。
今なら、どんな声をかけてあげたいか。
そんな視点を加えることで、
文章が誰かに手渡せる形になる気がしています。
好きなことと生活は、共存できる
好きなことを仕事にする、という言葉には、
どこか特別な響きがあります。
でも現実は、生活との折り合いをつけながら、
少しずつ形を整えていく地味な作業の積み重ねです。
時間を忘れるほど没頭できることは確かに強みですが、
それをどう扱うかで、
ただの趣味にも、誰かの役に立つものにもなります。
今の私にとって「書くこと」は、
生活を壊すものでも、
魔法のようにすべてを解決してくれるものでもありません。
ただ、忙しい毎日の中で、
自分の気持ちを整理し、
誰かと静かにつながるための手段のひとつです。
好きなことと生活は、対立するものではなく、
工夫次第で共存できるもの。
没頭を独り占めせず、
少しずつ外に開いていく。
その先に、
今の自分に無理のない形が見えてくる気がしています。